長いお別れ。

母が癌を告知され、さらに余命を聞かされた時から、
お別れへの序奏は始まっていました。
治る見込みのない肺癌だとわかり、
それでもなんとか数年でも生き延びる方法はないのかと思い、
いや、きっと、そうは言っても、結局は5年十年過ぎちゃったね、
なんてことになるんじゃないの?みたいな淡い希望を胸に、
抗癌剤の苦しさ、味覚障害の辛さ、やがては胸膜にはびこる
癌細胞がもたらす痛みと闘い続けて来た母。
私は、何もできず、ただ、見守るだけ。

長い長い月日をかけて、
次第に死へと向かっていく母親を見守りながら、
一緒にいることしか、他に何も出来ることもなく、
薬の管理や、
食事の準備、
手を握ること、
背中をさすること、
トイレに付き添う、
散歩に連れ出す、
終半になっては、痰を取ったり、
トイレの世話をしたり、
水を飲ませたり・・・
ただ単に日常生活のサポートしかできることもなく、
痛みを取ることも、苦しさを和らげることも、
医師にいわれるがままに遂行するのみで、
出来るなら変わってあげたい。
できるなら、今からでも楽しみを贈りたい。
そう思い続けて過ごして来たこの数ヶ月間。

母にとってはとても辛かったはず。
実際に弱音も何度も吐いた。
それでも、「私は幸せ者」そんな言葉を残して、
人生いピリオドを打ちました。

お母さん、お疲れさま。
お母さん、ありがとう。