再生。

桜の花が散り、
可愛いサクランボの実がつき始めた頃、
母は静かにこの世を去った。
約2年にわたって肺癌と闘い、
その闘いにピリオドを打ったわけですが、
私は母と共に病と闘い、特に最後の半年間は、
母に寄り添ってきたつもりではあったが、
今思い起こしてみれば、
母の辛さや痛みの、十分の一も理解していなかったように思う。

看護は、いくらやっても後悔が残るもんだよと、
多くの人から聞かされていたわけですが、
全てが終わった今、実感を持ってその言葉の意味を知る。

実家のそこここに、いや、全てに、
母の思いが染み付き、
見るもの聞くもの、全てが生前の母の姿を思い起こさせ、
その度に涙があふれて来て困る。
今はまだ兄家族もいて、実家の片付けものやら、
母の事務手続きやら、行なうべき事が多く、
それでもことあるごとにボロボロと寂しさがあふれてくるのに、
この先、家の中が静かになった時のことを思うと、
恐怖さえ感じる。

母の人生が終わり、
私のそれはまだ続く。
立派な生涯を送った、何でも積極的に取り組んだ、
母の人生を師に、私は、
きちんと人生と向かい合わなければいけないなと、
改めて思い始めている。