日常。

自宅に帰って1週間も過ぎると、
ようやくなんだか日常が戻ってきたような。
メソメソすることも飛躍的に少なくなり…
と思っていたら、一人の時間になると、
わけもなく寂寥感が襲ってきて、ウォウウォウと声を出して泣いたり。
…看護士のFさんが、自分の母親を亡くした後に、
仕事はきちんとこなすが、やはり通勤の行き返り、
車の中でウォウウォウと泣いたと言ってたのが印象的で、
まさにそんな感じでウォウウォウと泣いた。

昨日は、実家近くの銀行に行く必要があり、いつも実家に行くときに
乗っていた電車に乗ると、これはもうダメ。
実家で母が待っているような錯覚にとらわれ、
それが間違いだと気づいて、電車の中ではウォウウォウと泣くわけにもいかず、メソメソと。
ついでに実家の様子を見にいくと、
ガラーンとした実家が、母のいない現実を教えてくれた。

徐々に母がいない現実に慣れてきて、
それでもその事実に耐えられない時間がまだしばらくは続いて。
どうしようもなく、寂しくて。
どうしようもなく、涙がこぼれて。
こうして日常が過ぎていく。。。

想い出。

今週に入って、ようやくなんだか気持ちが落ち着いてきた…
っていうか、泣きが少なくなってきたような。
それでも、
朝食を片付けているとき。
煮物を作っているとき。
クリームシチューを食べているとき。
犬のお散歩をしながら。
お風呂で頭を洗っているとき。
・・・しているとき。
頭の中でいろんな連想がめぐって、
あの時、母はこうだったなぁ。
こんなとき、母はこれを欲しがった。
母はおいしいというだろうか?
ああ、また母に文句を言われるなぁ…
などと、ふと寂しさが還ってくるのです。
それでも、こうして次第に母は思い出になっていくのですね。

ブログ出版。

このブログのオプションで、自分のブログを本にできるという。
このハテナ出版というサービスで3冊だけ、限定版で注文しました。
それがおととい届いて、中身を読んでいたら、いろいろと
過ぎ去った母との日々が思い起こされます。

もともと、ノーチェックで書いてきたので、誤字や変換ミスは多々あるのですが、
残念なことに、印刷ミスを発見。
ブログ上ではキチンとなってるのに、
本の上では数行に渡って文字化けしているのです。
それも、2008年11月にアップした、母の原稿部分。

母の原稿は、母自らが何度も校正し、兄や私が編集し、
それをまた母がチェックして、しまいに私は面倒くさいと
音を上げた文章。
とあるところに投稿するときにも、何度も手直しをしたもの。
そのもっとも手がかかっている部分が、こともあろうに
大きく文字化けしてくるなんて・・・
私は、手作りで正誤表を作って、うえから貼り付けるようにしたのですが、
そんな作業をしながら、
母は、亡くなった後まで、文章にこだわり、
また私にその手直しをさせているんだなぁ!
そんな不思議な気持ちになりました。

夢。

自宅に帰って3日目、
リビングで夜、うたた寝をしている時に見た夢。
母とYちゃんと3人でドライブしている夢。
どうやら、十年前の熊本旅行の思い出が夢になってるようで、
昼食を弁当にして車内で食べればいいと言う母に、
いや、ちゃんとしたところを探して美味しいもの食べようと
車を運転している私。
そんなシーンしか覚えていません。
もちろん、心地よく目覚めた後は、また辛さが襲ってきました。
母が夢に出てきたのは、看護中もなかったことで、
実にずいぶんぶりということになります。

出社。

弊社の忌引きは5日間ということで、
上司との業績面談などもあり、この日から出社。
メールチェックをし、社内の参列者にお礼を行って回り、
とくに何事もなく、一ヶ月ぶりの出社を終えました。
イントラで内規を確認すると、忌引きは7日間!
なんと、上司は、間違った内規情報を私に伝えていたのでした。

帰阪。

母の死と共に、このブログは終了と思ってましたが、
まだまだ母の面影を引きずっている今、
もう少し続けてみることにしました。

その後、実家の整理や、母の死にまつわる
あらゆる事務処理を終えて、兄は東京へ帰り、
私は大阪の自宅へと戻ってきました。
母亡き後の家の管理など、少なくとも49日までは、
という気もしたのですが、なんだか、実家のそこここに
母の想いが染み付いており、いたたまれなく感じ、
自宅に帰れば、また気分が変わってよかろうと思ったのでした。

自宅に帰ってしばし、確かに気分も変わって、少しは明るい気分になったのですが、
ふと何かの拍子に母の面影や言葉を思い出してしまい、
そうなるともうだめ。
メソメソ人間になってしまいます。
いつか、嘆きを忘れた頃には、母の思い出も薄れてしまうのでしょうか。

消去。

昨日でまる一週間。
4月24日金曜日に母が亡くなってから、
毎日バタバタと片付けの日々。
兄がいて、中心になってやってくれるので、とても助かる。
4月25日(土)通夜
4月26日(日)葬儀
4月27日(月)手続き
告別式を無事終えたが、ぽっかりと開いた母のいた場所。
そこにあったベッドはなくなり、すっきりとひろくなった家。
兄一家が中心になって、あちこち片付けが始まる。
店舗や住居やらに、不要なものがいっぱい。
兄は朝からあちこちに電話をして手続きなどの相談。

4月28日(火)
諸々必要な書類を洗い出して、区役所へ。
書類を取り、健保、介護保険などの返却。
区役所、なんと書類費用だけで9500円もかかり、
2時間あまり費やす。
郵便局にまわって簡保の手続きやら通帳の件やら。
社会保険事務所は夕方というのに2時間ばかり待たされたあげく、
住民票が不足しているという。
夜、母の衣類関係を整理。
懐かしいワンピースやスーツ、部屋着などが次々と。
兄が先導する中、2人の姪、義姉、Yちゃん、私の5人で
母の遺品を分け合う。
以外といいデザインの衣類や手作り品があって、
若い2人がまたそれを気に入ったりするのが面白い。
大人3人は、なんだか控えめに、本当に欲しいと思ったものだけを手にする。
私は、サイズや形的に着れそうなモノは少ないのだが、
それでも、記念にと思い、多めに手に入れた。
がらんどうになった母のクローゼット。
ちょっと早すぎるお片づけのような・・・寂しさが倍加する。

4月29日(水)
午後、兄たち4人で梅田阪急へ。
香典返しの手配、お礼の菓子を購入。

4月30日(木)
朝から車で大阪へ。いったん家に帰って、印鑑登録カードを引き上げ、中央区役所にて印鑑証明、住民票などを取得。
兄は、ご近所へご挨拶など。
午後、銀行、郵便局、区役所、社会保険事務所でそれぞれ
母の死亡〜名義変更などを終える。

5月1日(金)ご挨拶
神戸介護センター、六甲病院、関本クリニックへ。
六甲病院の入り口を入ったとたん、ほんの数日前の
あの頃のことがよみがえり、通路を歩くにつれ、
涙がぼろぼろこぼれ落ちて、
A先生やら看護師長さんやらに挨拶するのにも困った。

こうしてあっと言う間に1週間。
まるで母が生きて来た痕跡を消去して回ってるような1週間。
本当に母がいなくなってしまったんだ…
徐々にだけど、そんな実感が湧いてくる。

今日は、私の●十2回目の誕生日。
Yちゃんと兄と姪のM子が祝ってくれた。
兄が前日からケーキを予約してくれて、
Yちゃんがワインと贈り物を用意してくれた。
この歳になって、名入りのプレートのついたケーキに立てた
ロウソクを吹き消させていただけるなんて。
感激。